恋をしている 蔵は難しい数式や科学記号をノートに並べて、シャーペンを振って芯を出してから指を器用に使って水平に一定のリズムを刻みながら廻している。 ここは、蔵の部屋。 私の部屋と違って、脱ぎ散らかした服や買って袋に入ったままの雑誌なんかない。 日差しを避けるために、ブラインドを下ろしてるからエアコンの音が少し耳障りだ。 ─ 明日からテスト、 頭の悪い私は時間割すら頭に入ってない。 蔵が化学のテキストを開いてるからきっと明日、化学のテストはあるんだろう。 「く〜ら、」 ん〜?と生返事。 彼女の顔よりテキストとのにらめっこがいいらしい。 「蔵っ!」 イライライライラ・・・ 蔵は私を見てくれない。 あの日はあんなにまっすぐに見つめてきたのに。 『なぁ、さん、試合見に来ぃへん。俺、絶対勝つし。』 『勝つなら、べつにうちが行かんでええんとちがうの?』 あの頃、私は蔵のことは白石って名前しか知らなかった。二年生なのに全国大会出場メンバーに選ばれたことだって。私の学校生活に蔵みたいなスポーツマンはいらなかったから。 サブバを開ければキラキラネイルやツヤツヤリップが転がり落ちる、思いっきりビーズでデコった携帯電話、ブラックのカバーをつけたipod。 ひとつのホールで何個もつけたように見える色つきのガラス玉が連なったピアス、分厚くなっていくプリ帳は宝物。 さらさらなロングに天使の輪は必須、毎朝ヘアアイロンと格闘して睫毛もついでにばっちりカール。 何週間も前に返されたテスト用紙はくしゃくしゃになって底に沈んでる。 それが、私だから。 『あんな、さんが来てくれたら勝つ、言うてんよ。』 『なんで?意味わからへん。うち、行かへんから負けたらええやん。』 関西は梅雨の中休みでお昼過ぎから猛暑になった日の三号館裏は日差しが特に強かった。 ─ 二号館の噴水のトコなら涼しいのに・・・ そんなことを思う余裕があったのはこのときまでだ。 『えげつないなぁ、好きやねんな子にええとこ見てほしいやん。』 蔵は笑ってた。 私が断るなんて思ってない気持ちのいい笑顔。 その瞬間。 日差しの強さのせいじゃなく、私の頬は温度を上げていった。 私がこうして思い出せるのは、今ではきっと私のほうが蔵を好きだから。 「なに、ムカついとんの?」 「とんの、」 今度は私が知らん振りする番。 携帯を操作しながら蔵に背中を向ける。 ペンを置いて、蔵が立ち上がる気配がしたと思ったら、私を背中から丸ごと抱きしめて肩越しに携帯を覗く。 「。なんで、小春なん?」 「女同士やし、うちら気が合うし。」 「んなわけあるかぁ、」 クツリとしのびやかに笑う声が耳元に障るのがくすぐったい。 「、くらがいじめる・・・だいきらい・・・」 「読まんでくれはります?」 「ほな、俺はをいじめんといかんのやな。」 スルリと慣れた手が私の身体に巻きつくと、もう片方の手で携帯を取り上げられた。 「携帯でも、が他の男と仲ようするんは許せへんなぁ。」 「小春とはガールズトークやねん。」 蔵は私より、ずっとずっと大きくて力があって頭がいい。 だから、こうして私の世界を蔵だけにすることも簡単に出来てしまうんだ。 「うち、昆虫採集のアゲハ蝶みたい。」 「そやなぁ、」 私は床に蔵という虫ピンで縫い止められた蝶で、蔵を見上げてる。 蔵は蔵で、長い腕で私を囲ってしまう。 「アゲハちゅうより、モンシロチョウやな。」 「ひどっ!格下げしはった、」 バタバタ足を鳴らしても蔵は離してくれない。 「ちっさくて、頼りなげに飛んでるやん、モンシロチョウ。」 ─ 可愛ええに、よう似とるわ・・・・ そんな囁きと一緒に、蔵の少し硬くて冷たい唇が降りてきた。 「よつばみち」さまへご笑納 2009.07 亜奏夜羽 background by Quartz 様 photo by 七つ森 様 |