ジェットコースターと流れ星
☆*・。*゛
生まれて初めてのデートだった。
最初のうちは、うまくいってたんだ。駅で待ち合わせをして、ファーストフード店でちょっと遅めのお昼を食べて。
ここに来てからだって、お化け屋敷やゴーカート、決まった時間にやってる特撮ヒーローのショーとか、どれもすごく楽しかった。
彼がアレに乗ろうと言い出すまでは。
「あー、もの凄い迫力やな! あのスピード感がたまらんわ! やっぱりジェットコースターはええよなぁー」
永遠にも思えた苦行から解放され、ぐらぐらする頭を押さえながら乗り物を降りる私に、忍足君は満面の笑みを浮かべてそう言った。今日一番嬉しそうな笑顔。
こんな状態でも、彼が笑ってるのを見るとすごくドキドキする。やっぱり我慢して乗ってよかった。
「そ、そうやね……すごく、よかった……」
ひきつった笑顔を作ってそう言った。この言葉が、この先の悲劇の幕開けになるということも知らずに。
案の定、彼はますます嬉しそうに目を細めた。
「もこういうん好きか? よっしゃー、もう一回乗ろう!!」
目の前が真っ暗になった。
冗談でしょ……。1回だったらなんとか我慢できると思ったから、清水の舞台から飛び降りる覚悟で乗ったのに。
複数回乗ったりしたら、冗談抜きで死ぬかもしれない。
私は必死で首を振った。そのせいでますます頭がぐらぐらする。
「あ、いや、私はもう十分楽しんだし――」
「なに遠慮しとんや、ほら、行くで!」
ポンと肩を叩かれ、それ以上反対もできず、私たちはまた乗り場の長い列に並んだ。
小学生の時に軽い気持ちで乗って以来、私は絶叫マシン系の乗り物が大嫌いだ。
それなのにどうしてこんなに無理しているかというと、それは一緒にいる相手が彼だからに他ならない。
1年の時に同じクラスになってからずっと、忍足君が好きだった。2年間の片想いの末、決死の覚悟で告白して、奇跡的にOKしてもらったのはつい先日のこと。
とはいえ、彼はテニス部のレギュラーで、夏には大きな大会を控えている立場だ。そんな状態だったから、今までデートらしいデートなんて一度もしたことがなかった。
そんな中、突然降って湧いたテニス部のオフ日。決まったのは、なんと昨日だった。なんでも顧問の渡邊先生(忍足君はオサムちゃん、と呼んでいるけれど)の私的な用事のためらしい。
どうせ競馬やろ、と忍足君は笑ってた。その後、ちょっと顔を赤らめて、言ってくれた。
『明日もし暇やったら、遊園地にでも行かへんか?』って。
その時は天にも昇る気持ちだったのに……。
結局あれから、私たちは合計4回ジェットコースターに乗った。3回目までは何とか歩けたけれど最後はもうグロッキー状態で、乗り物が乗り場まで戻ってきた後も、私は手すりを掴んだまま突っ伏して、立ち上がることすらできなかった。
「お、おい! 大丈夫か?」
「ん、大丈夫……」
気遣わしげな忍足君の声に、私はのろのろと顔をあげ、なんとか笑おうとした。
だけど目があった瞬間、彼の顔がさっと強張った。
「アホ! そんな青い顔して、なにが大丈夫やねん!」
今まで一度も目にした事のない怖い顔と乱暴な声に、座席から飛び上がるかと思うくらいに体が震えた。
驚いたのは私だけではなかったようで、彼がそうやって声を荒げた瞬間、辺りが一瞬しんと静まり返った。
周囲のお客さんから投げかけられる視線にばつが悪くなったのか、忍足君は大きな溜息をついた後、手を差し出した。
「立てるか?」
「…………うん」
彼の手を掴んで立ち上がる。初めて触った彼の手は、私のよりもずっと大きくて、ところどころマメができてて、ごつごつしてた。
こうやって手を繋いでみたいって、ずっと思ってた。
それなのに……嬉しいどころか、すごく悲しい。
気がつけば、辺りはすっかり暗くなっていた。
橙色の街灯がぽつりぽつりと灯り始めた園内を、忍足君に手を引かれて歩く。
彼は私の数歩前にいて、私の体調を気遣っているのか、いつもよりゆっくり歩いてくれるけど、一度も振り返ってはくれなかった。だから私は、彼が今どんな顔をしているのか全く分からない。
ただ、あまりいい気分でないことは、何となく雰囲気で分かった。そしてそれは私の心をどんどん萎縮させていく。
やがて彼は、園内にあるベンチの前で立ち止まった。
「俺、なんか飲むモン買うてくるから、ここで座って待っとって」
背中を向けたままそう言うと、彼は私の返事も待たず、離れた所にある自動販売機に走っていってしまった。
その背中を茫然と見送った後、私はすとん、とベンチに腰を落ろした。
嫌われちゃった……?
脳裏に、さっきの怖い顔が蘇る。忍足君とは付き合ってまだ日が浅いけれど、彼はいつも私に豪快な笑顔を向けてくれたし、優しかった。
あんな怖い顔で怒鳴るなんて、普段の彼からは考えられないことだ。
でも、なんで?
ジェットコースターが苦手な事がバレたんだろうか?
いや、もしかしたら他にも何か、無意識のうちに気に障ることをしてしまってたのかもしれない。
そんなことを考えていると、いてもたってもいられなくなった。今すぐにでも彼の後を追いかけたい。
でも今の私には、ここで彼が帰ってくるのを待つしか出来ない。この遊園地は広いから、ヘタに動いたら絶対に行き違いになる。
私の心の中と比例するように、辺りはますます暗くなっていく。遠慮がちに小さく灯っていた街灯は、すっかり存在感を増した。
閉園時間が迫っているのだろう。皆、楽しそうに喋ったり、寄り添ったりしながらエントランスに向かっている。
ますます焦りがつのり、私はベンチから立ち上がり、彼が去っていった方角の暗闇に目を凝らした。だけど彼が帰ってくる気配は全くない。
自動販売機でジュースを買うのに、こんなに時間がかかるとも思えない。
もしかして何か事故とか、と考えかけて、私は一番考えたくない可能性に辿り着いてしまった。
もしかして、帰ったのかもしれない。
そんなことあるはずないと思いたいけど、あの怖い顔を思い起こすと、その可能性が真実味をおびて迫ってくる。
足から力が抜けて、あやうくその場に座り込みそうになって、慌ててベンチに戻った。
途中まではすごくいい感じだったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう?
何が悪かったんだろう?
一緒にいてもつまらない奴、って思われたんだろうか?
そんな事ばかりが頭の中をぐるぐる回って、少しづつ視界が潤む。
涙がこぼれないようにと上を向くと、いつの間にか頭上には満天の星が広がっていた。
そういえば忍足君、自分の事を『浪速のスピードスター』って言ってたっけ。
彼が走ってる姿はとても綺麗でしなやかで、そして、とても楽しそうで。
片想いだった頃は、その姿を遠くから見るだけでいいって思ってたのに……。
そんなことをボーっと考えながら見上げていると、真っ黒な夜の空に、小さな光が細い線を描いて消えた。
「あ」
流れ星だ。
テレビとかで見たことはあるけど、こうして現実に目の当たりにするのは初めてだった。私は咄嗟に両手を組んで、空を仰いだ。
願い事は流れ星が消えるまでにしないといけないって言うけれど、もしかしたら消えた後でも多少のご利益はあるかもしれない。
今はそれにすら縋りたい気分だった。
彼が戻ってきてくれますように。
何度も何度も心の中で繰り返す。傍から見れば馬鹿げてると思われるだろうけど、私はいたって真剣だった。
それに気を取られて、近づく足音にも気付かないほどに。
「?」
唖然といった感じの声。驚いてそっちを見ると、忍足君が目を丸くして立っていた。その手に、大きめのビニール袋をぶら下げて。
「忍足君……」
信じられない。流れ星に願い事なんて、子供だましだと思ってたのに。
「お前、何しとん?」
「……願い、叶ったんや……」
「ハァ? 何言うとんや」
呆れたようにそう言うと、彼は私の隣に腰を下ろした。私は慌てて目尻に微かに残っていた涙を拭い、恐る恐る尋ねた。
「時間、かかったんやね?」
「あー、スマン! 一番近くの自販機に行ったら、たまたま故障中だったんや。んで、どっか他のとこ探したんやけど、広いわ暗いわでよう見つけられへんかってん。そやから、手っ取り早ように外のコンビニまで行っとったんや」
「ええ!?」
まさか遊園地の外まで行ってたなんて。どうりで時間がかかるはずだ。
「んで入り口まで戻ってきたら、受付のおっちゃんに止められてなぁ。事情説明して、もう一回入れてもらうんが大変やったで。っつーわけで、遅ぅなった」
きっと彼は、一生懸命急いでくれたに違いない。だって、普段は多少走っても息ひとつ乱さない彼が、肩で大きく息をしているから。
きゅ、と胸がしめつけられる。いろんな感情がごっちゃになって胸がいっぱいで、後に続ける言葉が見当たらない。
だけど彼は、そんな私の様子など気にも留めず、いつものように笑った。
「ほら、どれがええ?」
そう言いながら彼は手に持っていたビニール袋を開いて、中身を私に見せた。ビニール袋の中には、ジュースやお茶、缶コーヒーがたくさん入っている。
「どれがええか分からんかったから、適当に買うてきた。どれでも好きなもん飲んだらええで。なんなら2本で3本でも」
「…………」
「まだ、しんどいか?」
首を振ると、忍足君は安心したようにホ、と息を吐いた。そしてごそごそと何本か取り出して、次々と私に手渡してきた。カルピスウォーターに、お茶に、オレンジジュース。
「あ、ありがとう」
「おぅ」
「それと…………ごめん」
「へ?」
彼は心底驚いたように私を見た。その視線を受け止めた瞬間、まるで堤防が決壊したかのように涙がボロボロこぼれだした。
最低だ。
一瞬でも彼の事を疑ってしまった。
冷静になって考えたら、絶対にそんなことありえないのに。
普段から面倒見がよくて、誰にだって優しい人なのに、そんなことするはずがないじゃないか。
2年間、一体彼の何を見てたんだろう。
「な、なんで泣くねん!? どうしたん? 俺がおらん間に何かあったんか!?」
驚いて顔を覗き込んでくる彼から逃げるように、私は両手で顔を隠してただ首を振った。
本気で面食らっているのだろう。彼は『腹、痛いんか?』とか、他にも色々的外れなことを尋ねてきたけれど、そのどれにも首を振ると、やがて黙って私の頭を撫でてくれた。
壊れ物を扱うかのように、そっと。
私が泣き止んだのを見計らって、彼は泣いた理由を尋ねてきた。嫌われるかもしれない、という恐怖が先にたって、なかなか要領を得ない私の言葉に、彼はじっと耳を傾けていた。
これでもう終わりかもしれない、と思った。
だけど、そんな私の覚悟とは裏腹に、彼の反応はこっちが拍子抜けするものだった。
「なんや、そんな事かいな」
「そんな事、って……」
「疑うてしもたって言うけど、まぁ相当時間かかってもうたし、周り真っ暗になったら、そら不安になるやろ。気にすんな」
軽い調子でそう言われ、驚いて顔を上げると、彼は勢いよく頭を下げてきた。
「俺のほうこそ、すまんかった」
「え!?」
「俺、がジェットコースター苦手なん、全然気付かんかった。自分ばっかり楽しんで、ほんまごめん」
「そんな……」
「お前の真っ青な顔見たとき、めっちゃ自分に腹立ってん。なんで気付いてやれんかったんやろう、って。お前の性格上、自分から『しんどい』とか『嫌や』なんて言うはずないことくらい、ちょっと考えたらすぐ分かるはずやのに」
「あ……」
じゃあ、あの後不機嫌だったのは、私に対して怒ってたんじゃなかったんだ……。
「あのな、俺には遠慮せんと何でも言うてな? 無理して俺に合わさんでもええんや。俺は別にジェットコースター乗れんかってもかまへんし」
「でも、それやったら忍足君が――」
「アホか。せっかく二人でおるんやから、一緒に楽しんだほうがええに決まっとるやろ。他にもぎょうさん遊ぶとこあるし。ジェットコースターは、部の連中と来た時にでも乗ったらええんやから」
「…………」
「ま、度を越した我侭は困るけど、はちょっと俺に気ぃ使いすぎやで。もっと肩の力抜いていこうや。どっちかが無理したら、上手くいくもんもいかへんくなるし」
そう言って彼はいつものように笑ってくれた。ゲンキンなことに、その笑顔一つで、別れの覚悟などふっとんでしまった。自分の顔が緩んでいくのが手に取るように分かる。
「――――そうやね」
「まだ付き合いだして日が浅いけど、こうやってちょっとづつ、お互いの事知っていこな?」
「うん!」
指先に、彼の手が触れた。ほんの少し、触れただけ。ただそれだけなのに、私の心臓は敏感に反応する。
触れた部分から熱が流れ込んできて、顔がポカポカする。
思い切ってこっちからも手を伸ばすと、彼の手がその上に重なって、そっと包み込むように握られた。
どうしよう。なんかすごく恥ずかしい。でも、嬉しい。
さっきとは全然違う。
好きな子と手を繋ぐのって、こんなに幸せな事なんだ……。
「よっしゃー、これでもうこの件はおしまいな! キレイさっぱり忘れるで!」
しんみりした空気を振り払うように、忍足君はいつにもまして大声でそう宣言した。笑顔で頷くと、そういえば、と彼は首をかしげた。
「俺が戻ってきたとき、なんや熱心に祈っとったけど、なんやったんアレ?」
「流れ星が見えたんよ。だから、忍足君が戻ってきてくれますようにって願い事しとったん」
「うわー、もったいなっ! 滅多とないチャンスなんやから、もっと別の事お願いすればよかったやんけ」
「例えばどんな?」
「え? 俺やったら、そうやな――」
そこで彼は一旦言葉を切り、空いたほうの手で、照れくさそうに髪をかきあげた。
「す、好きな子と名前で呼び合えますように、とか願うやろな。うん!」
きゅ、と私の手を握る手が、ますます強くなったのは、きっと気のせいじゃないと思う。
「――それ、もう叶ったよ、謙也くん」
(2009.04.20) 「よつばみち」様へ寄稿
End by みお 様
background by sweety 様