君の毒の虜になって
セアカゴケグモ:
1995年に大阪府で初めて発見された外来種の小型のクモ。強い毒性を持つが、素手で触らなければ咬まれることは稀である。
黒くてまぁるくて、そして名前の通り、背中のちょっと赤い毒グモ。
これがうちの学校の敷地内で見つかって大騒ぎになった。
見つかった場所がちょうどテニスコートの脇だったってことで、念のため本日の部活は中止。
中止になったのが急だったもんやから、ぽっかり空いた時間を持て余したりなんかして、
結局いつもの面々で何か食べに行こうかっちゅう話になって、
何のことはない、うだうだする場所が部室からお好み焼き屋に変わっただけ、というのが今の状況。
「せやけど怖いわぁ毒グモなんてぇ」
小春がわざとおおげさに怖がるのをうっとぉしいなぁ、なんて思いながら、
鉄板の脇に折りたたまれているクモ出没注意のプリントを手に取って開いてみた。
毒グモ、ねぇ。
咬まれたら、最悪の場合死んじゃうこともあるって書いてある。
素手で触らなければ咬まれることはないらしいけど、
なにせちっさいし、物陰に隠れてるっちゅうし、うっかり触って咬まれることがないとも限らないってとこが怖い。
そんな怖い毒グモなんて、外国にしかおらんって思ってたけどなぁ。
日本におる毒なんちゃらっつったら、毒蛇くらいしか思いつかんもん。
マムシとかハブとか。そんな蛇なんて、こんな都会にはおらんもんなぁ。
「毒グモなんて、こんな街中にもおんねんなぁ。毒のある生きもんなんか身近にはおらんて思ってたわ」
プリントを畳み直し、元の鉄板の脇に置きながら言えば、
千歳が、「そげんこと言うて。ほら、大事なの忘れとうよ。なぁ、金ちゃん」と、金ちゃんに話を振った。
「何?」と怪訝そうに振り向いた金ちゃんに、千歳はほら、と白石の方をあごでしゃくって見せる。
かわいそうに金ちゃんは、見る見る青くなって、千歳の耳を千切れそうなほどに引っ張って、
「あかん、あかんて。あれはあかん。触れたら死ぬんやで」って、口をパクパクさせている。
当の白石は、と言うと、千歳と金ちゃんの会話を耳だけでちゃんと聞いていて、
わざとらしく包帯を直したりなんかしている。
毒手なんて、嘘やのにね。
あんまり金ちゃんが怖がるから、みんなが面白がって、
こうやって何でもない時にも白石の手は毒手やって当たり前みたいに言うから。
「なぁ、白石の毒は、どんな毒なん?」
ふと思いついて、訊ねてみた。
いや、毒なんてないことは百も承知やけど。
あの包帯やって、部室で巻くの手伝うことあるし。
だから、ほんのちょっとした、悪ノリのつもりで。
さっきのプリントで仕入れたばかりの知識を早速披露してみる。
「やっぱり神経毒なん?全身に毒が回ったら死んだりするん?」
おもいっきり興味津々というように訊ねてみると、
白石は、あぁ?って、あんまり面白くなさそうな顔をして、「企業秘密や」って言った。
それからにいっと、人が悪そうな笑顔貼り付けて、
「ま、折角やから試してみるか?」なんて、その場で包帯を解こうとしたもんだから、。
金ちゃんがさっきより3割増しくらいに顔色が悪くなって、
「ぜったい嫌や。何の毒かなんて知らん、毒ちゅうたら死ぬんやで。ワイ死にたないねんっっ」って大騒ぎし出して、
さすがにやばいと思ったのか、千歳と銀さんがなだめて押さえつけようとしたけど一歩遅くて、
私たちは店のおっちゃんに盛大に怒られてしまった。
こってりしぼられて、みんなでしゅんっと小さくなって、
それでもしっかり食べるもんだけは食べて、私らは店を出た。
しばらく歩いて、誰からともなく、やれやれ叱られてしもたなぁっていう雰囲気になって、
小さく丸まっていた背中も、少しずつしゃんとし出して、
それぞれの家へ向かう分かれ道の辺りではいつもと変わらんようになって、
「ほな、明日な」なんて、元気に手を振って別れた。
本当に、いつもと同じように。
「なぁ」
2人きりになって、白石が話しかけてきた。
ふっと、空気が変わった気がする。
うちらの家は歩いて10分くらいの距離で、幼馴染ちゅうほどやないけど、
同じ部活に入ってからは、一緒に下校することは珍しくなかったし、
練習が遅くなるときなんかは、必ず白石が玄関先まで送ってくれた。
そうやって、何度も何度も並んで歩いた道。
せやけど今までは一度だって、こんな妙な空気が流れたことは、ない。
きっと、気のせいや。
そう自分に言い聞かせながら「なに?」と返事をした声が不自然に裏返ってしまって焦った。
「毒にはいろいろあんねんで。
人間には効いても犬や猫には効かへんもんとか、逆に人間は平気でも猫には有毒なもんとか、な」
ただの薀蓄やのに、いつもと微妙に違う雰囲気のせいで、
私の耳に届く白石の声まで、何だか艶っぽく聞こえて、さらに心臓が跳ねた。
「俺の毒はな・・・・」
白石は、立ち止まると、そう言ってゆっくり腕の包帯を緩めた。
何の冗談なん?
毒なんてあらへんくせに。
あれは金ちゃんを怖がらせるための、嘘なくせに。
「ほんまは、金ちゃんにはちいっとも効かへんのや」
すっと目の前に出された左腕の、中途半端に解かれた白い切れ端が風に揺れる。
「あ、当たり前やろ。やって、あれは、嘘、なんやし」
声を出すって、こんなに難しいことやったっけ?と、
私は一言ずつ区切って、やっとの思いで言葉を搾り出す。
「ほんまはもうちょっと内緒にしとこ思ったんやけど、ま、しゃあないわ」
言って白石は、包帯の緩んだ左手で私の頬をそっと撫でた。
瞬間、ちくっと鋭い痛みが走る。
白石が触れた頬やなくて、全然関係のないみぞおち辺りの、奥の方で。
突然の痛みに「あっ」と声をあげた私に、白石は満足そうに微笑んだ。
「俺の毒は、お前にだけ、よう効くようにできとんねん」
な、と頬に触れている指先をすっと動かして、髪に差し入れて、自分の方へ引き寄せる。
くいっと上を向かされて、近づいて来る白石のきれいな顔。
唇が重なっても、目を閉じることさえできない。
白石も目を開けたままやけど、至近距離過ぎて焦点が合わない。
私にだけよう効くって、どういう意味なんやろ。
っちゅうかなんで私白石とこないなことになっとるんやろ。
ああでも、そんなんもよう考えられへん。
白石の毒が効くっちゅうのは、ほんまやった。
だってもう、少しも動かれへんもん。
唇を押し付けて、啄ばむようにちゅっと音を立てて、少しずらしてまた押し付けて。
そんな長いキスを受けている間にすっかり体中に毒が回ってしまったようで、
私は縋りつくように白石の背中に手を回し、シャツをぎゅっと掴んだ。
それが合図だったように、白石の舌先が私の唇をぺろりと舐めた。
びくっと身体が震える。
「っ!!」
けど、息を呑むような声を出したのは、私じゃなくて白石の方だった。
ぱっと唇を離して、ゆっくりと瞬きをして、
「あかん・・・・」と呟き、そのまま私の肩口に顔をうずめる。
何? 私、何かした?何かまずいこと、した?
「・・・・しらいし?」
恐る恐る呼びかけると、白石は私の肩に顔をくっつけたまま、
「返り討ちにあってもうた。・・・・かっこ悪いわ、俺」なんて、口の中でブツブツ言ってる。
「私、なんも・・・」
何もしてないよ、と言いかけたのを遮るように、白石が私の唇に人差し指を当てた。
毒手やない、右手の方で。
「お前、こないに甘い毒隠し持っとるなんて、反則やろ」
つるりと指先で唇をなぞる白石の顔には、さっきまでの余裕はなくて、
わずかに上下する肩に、自分と同じ、騒がしい鼓動を確かに感じたから。
毒のせいや、白石の毒のせいや、って思うけど、
でも心ん中でむくむくと湧き上がった気持ちはもう、抑え切れんようになって。
「よう効くやろ?それ、白石限定やねん」
余裕顔を作ろうとして、うまくいかず、声も震えてしまったけど。
そう告げると、白石は少し目を見開いて、ゆっくりと頭を上げた。
「当たり前や。俺以外の誰かにそれ使こたら、承知せえへんで」
言って白石は、笑いながら私をぎゅっと抱きしめた。
END
またまた四天宝寺企画サイト「よつばみち」様へ投稿させていただいた、白石蔵ノ介です。
たまたまTVで世界の有毒生物とかっていう特番をやっていて、見ながらふと、白石の毒ってどんな毒なんだろうな?爬虫類系じゃぁないよなぁ・・・とか、考えたところから思いついたお話。
方言が自信ないのはいつものことですが、私としては今回非常に楽しく書かせていただきました。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
背景の写真素材は、「戦場に猫」様よりお借りしました。
(2009.10.8)