春。桜舞う季節。はじまりの季節。
同学年の生徒たちがたくさん集まる掲示板の前。思わずこぼれそうになったガッツポーズをどうにかぎりぎり胸に仕舞い込んで、俺は教室への階段を一段飛ばしで駆け上がる。自然と顔が緩むのは抑えきれず、「謙也ぁ、なんや機嫌よさそやなー」同級生たちは猛ダッシュで廊下を駆ける俺を見て笑った。のほほんとしたうららかな陽気に対して、そわそわ、そわそわ。どこか浮足立つ雰囲気は、春という季節が万事の始まりを意味しているのを、誰もが無意識に知っているからだろう。そしてそれは俺もしかり。春というものは、人の心をいとも簡単に宙へと投げ飛ばすのだ。
掲示板の張り紙で、3年2組、と記された数字よりも先に視界に飛び込んで来た文字は、。見慣れすぎた名前だった。とは去年一年間同じ委員会で、気が付いたら目で追っていて。当番が一緒になれば嬉しかった。少しでも話ができたら一日中浮足立った。俺は、に恋をしていた。それ以来、毎日毎日祈り続けてきたのだ。そう、すべてはこの日のため。神様どうか。どうかひとつ。これが最後の一年なんや。(どうか俺に青春をくれ!)オサムちゃんにも、焼きそばパン買いに走ったり雑用やったりまあ色々と媚を売って、どうにか頼むとゴリ押しした。当のオサムちゃんは、俺が決めることとちゃうしなあーなんて呑気に笑ってはいたけれど。そんな地道な願いが聞き入れられたのか、元旦に引いた大吉のおみくじは恋愛運が最強だった。これはいける、と確信した。
息をきらしたまま、鼓動がなりやまぬまま勢いよくドアを開ける。ざわざわ騒がしい教室の中を見渡せば、見間違うこともない、一年間ずっと追い続けた姿がそこにあった。(ほんまに、同じクラスになれたんやなあ)(なんやまだ、信じられへん)ぎゅ、と波打つ心を落ち着かせようとすればするほど鼓動ははやる。(落ち着け落ち着け、忍足謙也)素知らぬ顔をして話しかける。
「おはようさん!も2組か」
「あ、忍足くん。おはよう!」
「なんや委員会の延長みたいやなあ。これから一年間、よろしゅうな!」
「うん、こちらこそ。よろしくね」
「謙也も2組なんか、えらい騒がしゅうなるなぁ」
「なんや白石おったんか」
「ずうっとおったわ。失礼なやっちゃな」
自分、さんしか見えてへんかったんかーそうかそうか、白石は笑えない冗談を投げてよこす。おいこら、にやにやすんなアホ!どうにか「じ、自分の存在が薄いんやろ!」「んなことないやろ」言いかえす。去年と同じクラスだった白石は、俺の気持ちなんかとっくに知っていてたまにこうして爆弾を落としにかかる。たちが悪すぎる。(イケメンやからって、許されることと許されへんことがあんねんで…!)ヒヤヒヤしながら、ちらりと視線を送ったら、俺らのやり取りを完全にネタだと受け取ったらしいは屈託なく笑っていた。(あ、可愛い。)
「そか。謙也とさんは、委員会で一緒やってんな」
「そうやけど」
「ほんならまた、二人で放送委員やったらええやん」
「!?(ちょおほんま何言うてんねん白石おま、)」
「忍足くん、今年も放送委員やるの?」
「お、おう。そのつもりやで、一応な」
ふうん、が視線を落として、何か考えるようにじっと机の木目を見つめた。長いまつげに影が落ちている。去年の俺は、ともっと一緒にいられたらと思った。委員会の時間だけじゃなくて、例えば同じクラスだったなら、もっともっと色んなを見ることができるのに。一緒の時間を過ごすことができるのに。そして今、神様がチャンスをくれた。だからここからは俺が、自力で頑張らなあかん。の特別になれるように、ちょっとずつちょっとずつ努力していかなあかん。俺たちにはまだまだこれから、たくさんの出来事が待っているんだと信じて。「じゃあ、」
「忍足くんがやるんなら、私もやろうかな!」
春。はじまりの季節。
ひらりと教室に迷い込んだ桜の花びらを受け止めるを見ながら、俺は、何かが始まるのを確かに感じていた。